てぃーだブログ › 凛々と~ことば・沖縄・教育~

自己啓発本に啓発される感性と読書

2011年11月09日

Posted by 踊狂教員 at 20:02 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 教育
実はあるコンクールの審査をやっている。具体的には、言えないが、その作業をしながら、考えたことを記しておきたい。

ここ最近、自己啓発本がよく売れているのか、高校生も、せっせとこの手の本を手にしているらしい。

高校の現場に勤めていた頃から、そのような現状を薄々感じていたが、さるコンクールの作業をしていて、その現実を目の当たりにした思いである。

自己啓発本に自己啓発されることは、決して悪くはない。むしろ啓発されてよかったね、とも思うが、読書なる行為は、そのような功利的なものなのだろうか?


若者よ、自己啓発本に抗う感性たれ!

続きを読む

人麻呂の歌から、死者の声を聴く

2011年06月22日

Posted by 踊狂教員 at 21:42 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 万葉集
 柿本人麻呂歌には、万葉集に登録された歌で真っ先に出てくる歌として、「近江荒都歌」がある。おそらく持統朝の初期に、近江行幸に従駕した人麻呂が、荒れた近江大津宮をうたったのであろう。
 この歌を、今日の講義で取り上げ、後半は次の人麻呂の歌について考えた。


近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば こころもしのに いにしえへ思ほゆ
                           柿本人麻呂 (巻3・266)

人麻呂にとって、近江は壬申の乱を戦った人たちの声や、かつてここが都として繁栄していたときの人びとの声を聞くことであったのではないかと、問いかけた。千鳥の声に、古の人たちの声を重ねたのではないかと……。そして、夕照が呼び覚ます、寂寥や哀傷は、自分自身の心のなかにある古の人びとの面影ではないかと……。

死者の声を聴くという営みは、ある情景が呼び覚ますということが、多い。荒れた都の情景から、人麻呂が思い浮かべた人は誰だったのか知る由もないが、壬申の乱という戦争を抜きにして考えることはできないだろう。

そんな流れで、講義を進め、毎回出席カード代わりに書かせている課題シートのテーマを言った。
「亡くなった人々と我々はどう向き合うべきなのか」、明日が「慰霊の日」であることと、関連させながら、「こころもしのに古思ほゆ」ということを、考えて綴ってくださいと、問いかけた。
別に関連させることを強いることはしないが、まずは、亡くなった人々とどう向き合ったらよいのかを考えて綴ってほしいと述べた。

いろいろさまざまの反応があって、興味深かった。
この手のコメントを求めたとき、いつも気になることがある。
自分で考えることから逃げる者たちをどうしたらよいかということである。

体験したことがないから、わからないと、済ますものたちといったらよいだろうか。
つまり、ある事象と自分自身を対置させ、そこから、繰り返し「対話」することをあきらめてしまうことだ。あるいは、手っ取り早く、道徳や常識で「~ねばならない」式に結論らしきものを導いて、思考することをやめてしまうということなどは、「対話」すら成立していない。

私が求めたのは、自らの体験談や道徳ではなく、どのような思考をしたかということなのだが、思った以上に求めた課題が複雑に感じられたのか、思考の補助線すら引けないものが多かった。

つまりは、想像力である。感覚である。感性である。

「対話」をしないのは、ある意味、自己の課題評価であり、同調のみを求めて、違和感だけを際立たせる無思考性なのだろう。

「考えられない~」「わからな~い」で、済ませていいこととそうでないこととの違いは、せめて弁えて欲しい。死んだことがないから、わからない。深刻な死を迎えた肉親がいないからわからない。と言ったとき、取り返しのつかないことになっていることは、実は多い。

こんな時代だから無理はないと、捨て置けないのは、彼らの多くが、よりリアルな世界を求め、そこにあこがれを持っていたりするからだ。リアルな世界から、ほど遠い「対話」とは反対の世界に身を置きながら、より、現実的で肉迫してやまない現実を求めてばかりいる、無思考性はどうしたらいいのだろうか。

同じ「考えられない」「わからない」でも、こんなコメントをくれたものもいた。
「よくあの人なら~してほしいというはずと、生前の姿から推測してモノを言う人がいますが、それはその人の記憶の中にある亡くなった人と向き合っているわけで、結局向き合っているのは自分だと思います」
だから、亡くなった人とどう向き合うかということは、無理なことだとし、問題は生きている人びとなのだと結論づけていた。

よく事象と「対話」し、思考を放射したものだと感心した。

むろん、人麻呂の歌から、こんなことを考える必要はないことなのだが、自分の頭で考え、自分で導き出した行動によって、明日を切り開く力を、大学で培ってほしい。

むろん、「慰霊の日」とからめて考える必要もない。しかし、バラエティー番組や情報番組と向き合うような方式で、学び(講義)をとらえてほしくない。

正否を問いたいのではなく、思考を問いたいのだから。

死んだことがないからわからない――では、死ねばわかるのか?
大事な何かが、ズボっと抜け落ちている。ぎこちなくても、表現が下手でも、まずは、自分で考えてみてほしいのだが、なかなかうまくいかない。

研修旅行中止

2011年03月21日

Posted by 踊狂教員 at 14:12 Comments( 0 ) TrackBack( 0 )
いろいろと検討した結果、やめることになりました。
残念ですが、今やるべきこともいくつか考えられ、
それに、向かうべき時でしょう。ポストでベストです。

研修旅行決定

2011年02月09日

Posted by 踊狂教員 at 18:15 Comments( 0 ) TrackBack( 0 )
 学生を連れて、奈良を旅することになりました。学外ゼミ費を申請すると、なかなかの金額でありました。
本と向き合って、文学を学ぶことも大切ですが、文学故地を旅することも大切にしたいと思い、年度当初に呼びかけていました。3月21日出発です。格安航空券の手配、そして、格安宿泊施設の手配。どれもお手の物です。学科のカリキュラム改革が進むなか、このような研修旅行も単位化できないかと提案したら、学科長の努力とアイディアで、実現しそうな感じです。もちろん、お金のかかることなので、学生には極力負担をかけない形が望まれるのですが、学生時代の旅行(貧乏旅行)は、できる限りやったほうかいいという考えです。
研修旅行から帰ったら、小冊子(研修旅行記)くらいはできるのではないかと思っています。今年は、花粉が多いようですが、できれば花をたくさん眺めながら、歩きたいものです。
 旅程は、一日目~移動・興福寺・春日大社・東大寺
     二日目~明日香
     三日目~明日香・吉野
     四日目~西ノ京
     五日目~自由行動(京都・大阪)
     六日目~沖縄に帰る。

 少し長い旅行になります。計画を立てながら、大丈夫か、不安な面もありますが、少人数なので、いろいろな話をしながら、どっぷり学びの旅行にしようと考えています。思い出になるような学びの旅になるといいと思っています。
 さて、期末処理が待っています。採点に評価の作業にうつりましょう。

模擬授業会

2010年11月03日

Posted by 踊狂教員 at 17:26 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 教育
 所属している学科の教職課程では、模擬授業を集中的に行い、実践的な力の養成をはかります。1~4年までの、国語科教員を目指している学生が参加し、先生役、生徒役にわかれて、授業実践を学んでいきます。今日は、その模擬授業会の秋季実践会でありました。事前指導を受けた、3年生が、初めての教壇実践を行うわけですが、緊張感がこちらにも感じられるほど張りつめていました。しかし実りの多い模擬授業会になったようでした。次の日曜日も模擬授業会です。例年に比べて、4年生の参加が多く、教職への意欲がとても感じられました。また、4年生の授業に対するコメントは、的を射ており、教育実習を終えるとこんなにも成長するんだと実感させられました。
 1年生は、まだまだ、ついていくのにやっとといった感じですが、徐々に要領をつかんでいくといいのでしょう。班活動によって、上級生が下級生を指導していくというあり様は、うちならではのことで、ある種伝統といってもいいと思います。見習うべき先輩が、常にそばにいて、的確なアドバイスをしてくれることこそ、大学での学びを拡充することになるのでしょう。
 朝から、夕方までの長丁場で、担当教員は少しくたびれましたが、意欲ある学生が、自主自立した学びを展開してくれるので、うれしい限りです。
 課題は2点。教材研究の質をもっと高めることと、教師のことば(指導語)を磨くということ。自分自身の学科の専門科目を、教材論、授業論、教材分析に生かす視点をもって、教材研究ができるといいと思うのです。まだまだ、表層的な教材研究であることは否めません。あるいは、授業の枠組みだけにとらわれているといったらいいでしょうか。初めての教壇実践の者に対して、少々酷な面あるのかもしれませんが、私は、できる限り、もっと上を目指したいですね。彼らはできると信じています。
 教師のことば(指導語)を磨くことも大切です。学生気分の延長線で教壇実践を考えていていはいけません。どのようなことばの力が求められているのかを、まず教員自身が自覚的であるべきですし、そのことの修錬こそ模擬授業会において求められているのでしょう。
 自分のゼミ生が、ゼミで学んだことを生かしながら、古典の授業(大村はま実践や古典語についての知識を生かす授業)をしていたのもうれしかったです。なかなか良かった。
 さて、明日は卒論ゼミ、専門ゼミ。先週、台風で休講になったので、少々心配です。

充実の学会

2010年10月25日

Posted by 踊狂教員 at 10:41 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 万葉集
萬葉学会が終わり、沖縄に帰ります。今日は、高岡の万葉故地を歩こうと考えていましたが、台風が沖縄に近づいているようなので、急遽帰ることにしました。残念。
昨日の研究発表は、まだまだ未熟の私も、ある程度は基礎ができてきたことを少し実感できました。初めて萬葉学会に参加したときは、80%〜90%の割合で、何を話しているか分かりませんでした。メモをしたものの、チンプンカンプンという具合でした。
しかし昨日は、発表の趣旨もわかりましたし、質問の意味もわかりました。隣に、たまたまある有名な先生がお座りになったのですが、その先生がご質問で指摘した内容と同じことを私も考えていたことに、嬉しくなりました。少しは成長したのでしょうか。
やはり、お手軽な調査、安易な結論ではいけないのだと思いましたが、発表者は、みんな若く、たくさんの古典籍、漢籍にあたっていて、意欲的でした。見習いたいと思いました。謙虚な姿勢が、発表者みんなから感じられ、万葉集は研究だけでなく、精神も育ててくれるのだと思いました。これも、彼らを見習いたいと思いました。
さて、特急サンダーバードに乗車しました。改札口で、若い駅員が日付のスタンプを押してくれました。自動じゃない!温かい。しかしよく見ると、若すぎる。なんと職場体験の中学生でした。雨のなか、北陸の景色が車窓を飛んでいきます。
関西空港まで約4時間。なかなかの旅です。

復習しながら、帰ります。

萬葉学会

2010年10月24日

Posted by 踊狂教員 at 08:57 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 万葉集
今、萬葉学会が高岡で開催されており、参加しています。
昨日は、記念講演でした。内田賢徳先生、村瀬憲夫先生がお話しなさいました。内田先生が、漢字の意味世界を倭歌の中に実現していくことを、漢籍との関係で、明瞭にお話していだだき、大いに刺激を受けました。
村瀬先生は、万葉集の編纂と成立について、ユーモアたっぷりとお話し、伊藤博先生のご論の顕彰と検証をなさいました。この編纂と成立の研究は、絶滅寸前とおっしゃっていましたが、万葉集の研究の醍醐味だと感じました。
今日はこれから、研究発表会です。しっかり勉強します。

教育・繁盛!実習・繁盛!

2010年09月21日

Posted by 踊狂教員 at 21:51 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 教育
 勤めている大学は、今日から後期が始まりました。夏季休業中、あれこれ行事があったり、出張があったりするうちに、夏季休業終了。仕事(研究)は捗々しくない状況をどうにかしなければと思いながら、現在は、教育実習の研究授業参観に明け暮れています。教育学部といっていいほどに、教職課程に熱心なウチは、教育実習生の指導にとても熱心です。本学の、一番の広告塔が教育実習生といっていいんでしょうね。
 明日は朝から、ずっと研究授業の参観です。楽しみでもありますが、教員体験初の学生に、この前行われた中間懇談会で話したことは……
****
 教育機器や様々な教材・教具があふれている時代にあって、まず君たちが培ってほしいのは、チョーク一本、黒板、教科書、ノートの最低限のもので、取り組む授業を目指してほしい。もちろんパワーポイントや視聴覚教材もいい。でも、まずは自分の身一つで取り組むことを目指してほしい。自分の言葉のみで、教えることに挑戦してほしい。「教師の身一つ」ということを考えて研究授業に取り組んでもらいたい。
****
 このような趣旨の話をしました。受け止め方は様々でしょう。いろいろな経験を積むことは、まず障壁にぶち当たってこそ、意味があるということが言いたかったのです。

独りリュウキュウボーイ

2010年08月08日

Posted by 踊狂教員 at 14:48 Comments( 3 ) TrackBack( 0 )
ひとりの〜を、独り〜としてみたのは、現在、東京出張中で、かなり、独りって感じだから。

すべてが、ギコチナイ中に、リュウキュウボーイを意識してしまう。

ボーイとは言えない年齢であることは、承知している。

昨日、沖縄文学館を訪れ、トーマヒロコさんの詩について、書かれてあり、まさに、今、独りを実感しているからである。

そんなに急ぐ出張でもないのにPASMOを 買ってしまった。

買ってしまった悲しみに…。

そして、今夜の宿は、新宿ときた。

咳をしても一人…。


それと、最近の東京は、なんか臭う印象。

人々の疲れの臭い。

黴と埃を完備と誇りのある暮らしに…

2010年07月31日

Posted by 踊狂教員 at 12:24 Comments( 0 ) TrackBack( 0 )
実は、先日、誕生日を迎えて、3 8 に なりました。早いものです。

高校3年から20年!

確か、今くらいの時期に、北海道の大学を進められ、今はなくなったマキシーの本屋で、赤本をめくり、その場で、母に、電話したのでした。

その大学を進めた先生と、大学卒業以来、ずっと勉強会をやっていて、思えば、私の勉強を20年みていただいているのです。

感謝は、言葉にすると、「。」や「、」がつきそうで、終止や休止したものになりそうですが、感謝しきりなのです。


本棚と本を研究室に引っ越すため業者を頼みました。

黴、埃がスゴく、空気清浄機を買うことにしました。

今まで、黴と埃と暮らしていたことに気づきました。

気負わず、焦らず、じっくり、取り組む夏にします。


身近な死/宮沢和史

2010年07月28日

Posted by 踊狂教員 at 00:15 Comments( 4 ) TrackBack( 0 ) 詩と日常
身近な死/宮沢和史

身近な誰かが亡くなるたびに後悔する
もっと会いに行けばよかったと
もっと声を聞いておけばよかったと

何百人もの参列者があなたの写真を眺めながら
少しずつあなたが横たわる所へと移動していく
あなたのその笑顔は
声のない最後の会話を楽しんでいるかのよう

死に直面した人の恐怖と悲しみは僕には計り知れないけど
あなたの人生に関わったこの残された人々の計り知れないやり場のない思いを
あなたは知らない

これだけ大勢の人に愛されていたのだと 教えてあげたい
あなたはきっと実感していなかっただろうけど
「いつもひとりぼっちだったよ」って言うだろうけど
こんなにも大勢の人に抱きしめられて生きていたんだよって
知らせてあげたい

家路につく参列者達は
あなたに愛されていたのかどうかという回答のない問題用紙を破り捨て
「あなたを愛したんだ」という一輪の誇りを胸に
今日という日に佇む自らの命の質量を知る

「生」が「死」を生かすことはなくても
「死」は「生」を養ってくれる
************************

なぜか、いつもこの詩にこだわっているように思います。

結婚式や披露宴は、やむを得ず欠席することがあっても、告別式だけは、可能な限り出席しなさいというのが、父の教えです。「人生の最後」は、どんな人にとっても、どんな家族にとっても、尊く、厳粛なものだという父は、命のつながりを実感していたのかもしれません。

何を隠そう、宮沢和史のファンをながく続けています。彼の詩語の密度を、自分のなかで確認できたとき、言い知れぬ喜びと、やさしい気持ちが立ち現れてきます。いつだって、言葉に生かされている日常を生きるのが私かもしれません。

http://www.five-d.co.jp/miyazawa/index.html


踊狂教員という名前について

2010年07月27日

Posted by 踊狂教員 at 12:04 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) ことばと日常
なぜこのような名前なのか、あまり深い意味はないのですが、葛飾北斎が最晩年に「画狂老人卍」としていたことに、ひかれて(シャレて?)「踊狂教員」としているわけです。幼いころとほとんど変わらず、踊りが日常生活の一部となっていて、大学の教員になってからも、それは変わらないということです。
ただ、「狂」という文字が、さまざまな違和感を感じるようですから、なにか相応しい名前考えてみたいと思います。万葉に因んだ名前がいいのか、沖縄に因んだ名前がいいのか?検討してみたいと思います。

長い間、懸案であった、本と本棚の引っ越しが8月30日に決まりました。いつもお世話になっている引っ越し屋さんに、3万円でお願いできました。研究室が、少し窮屈になりますが、本棚5つを配して、家の本たちを移動させたいと思います。この夏は、しっかり論文にも取り組みたいと思います。

神野志隆光先生が、『万葉集鑑賞事典』(講談社学術文庫)を、4人の研究者と一緒に編まれました。代表歌165首の評釈と152項目の基礎知識が書かれてあります。入門書としては最適そうです。まだ読んでいませんが。来年のゼミで使いたいと考えています。万葉仮名も併記されているので、いいなあと思っています。

http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2920026&x=B



大規模な反対運動は困る?

2010年06月13日

Posted by 踊狂教員 at 14:11 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 私の発言
大好きな公共放送を見ていた今朝。与党の発言に辟易とした。
普天間の安保問題〔普天間問題と言いたくない〕は、誰が、かき乱したか!と思う。当事者をすり替える発言だと言いたい。
大規模な反対運動?
困る?

この発言の延長線上には、人権は認められないということを言いたいと見えるのだが、立場が不明。

いったい、問題は、どこにあるのか。普天間に住む人に問題があると言わんばかりの傲慢な発言といいたい。沖縄だけの問題と言わんばかりの発言といいたい。

嘆かわしい。


沖縄の苗字から旧漢字のことを考えてみた

2010年06月10日

Posted by 踊狂教員 at 16:51 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) ことばと日常
 県外の方は、沖縄の苗字に不慣れなため、困惑することがよくあるようだ。確かに身近でない苗字は、一瞬「???」となってしまうのも仕方ない。
 私の名前も少し変わっている。でも、まったく読めないことはない。小学校1年と2年の配当漢字である。
 昨日、県外のある業者に、沖縄県内の知人への贈り物を依頼した。その送り先の方の苗字が読めないとのことだった。見たこともないということだった。「与えるという字の旧漢字ですよ~」と告げると、「文字化けしていて、与えると読めない」とのことであった。

 はて?どういうことか?推し量って聞き返してみた。

 「もしかして興味の興に似ていませんか?」「はいはい、そうです」「与えるという字の旧漢字ですよ~」「へ~沖縄独特の文字ですね~」「いいえ!大昔から日本において、その字は、与えるという字ですよ。漢文では、疑問の助字です~」「はじめてみました~」「そうですか~」

 その字とは「與」。

 確かに「興」が文字化けしたようにも見える。

 ゼミで万葉集をやっているが、結構な時間を割いて、旧漢字の読み方の指導をする。今日は、「實」が読めないとのことだった。歌舞伎役者實川延若は、過去の人であり、武者小路實篤もだれ?という時代なのか。
 常用漢字表が改まったというが、そもそも漢字を制限する必要はあるのだろうか。万葉の文字を研究する身からすると、漢字は知識の宝庫とおもうのだが…。

 以前、先輩教員が指導する高校生が、テストの答案も、作文も、旧漢字で表現するということを聞いたことがあった。やりすぎはいけないが、こんな生徒がいてもいいだろうと思う。

 そのうち、斎藤の「齋」も文字化けだという時代になるのだろうか。渡辺の「邊」を使うのにもかかわらず、沖縄の苗字「邊(辺)土名=へんとな」さんの「邊」さえも沖縄独特の文字ですねといわれる時代になるのだろうか。

 旧漢字という言い方ではなく、べつの言い方を考えたほうがいいのではないかと、思ったりもする。

転身

2010年04月12日

Posted by 踊狂教員 at 18:34 Comments( 2 ) TrackBack( 0 ) 私の発言
 3月31日付で県立高校の教員を退職し、4月1日から沖縄県内の大学に勤めています。古典文学と国語教育の担当です。分不相応の椅子と机、研究室を与えられ、身の引き締まる思いです。15年の現場経験を生かしながら、気負わず、焦らず、じっくりと取り組んでいこうと思います。
 ところで、先日近江万葉の故地を歩いてきました。雨も雪も、あられも、そして快晴も体験できた滋賀の地は、湖国の名にふさわしい地でした。そして、歴史が息づく土地でした。たくさん写真を撮りましたのでゆっくりアップしていきます。以上報告でした。(以下別の話題)

 さて、「女形の美」についての発言に疑問を投げかけたら、さまざまな反響があったようです。インターネットは顔が見えないために、怨嗟の言葉に受け止められる可能性があるので自重しなければならないところもあります。決してそういう方向での疑問ではないことを記しておきたい。
 美形が「女形の美」であれば、努力の上に成立する「芸」はいらない。女形の芸と称することもない。美形を舞台にあげればいいし、およそ、「学」をもって云々するものではない。酒飲みが、ホステスを品定めしている感覚であれば、「女形の美」と大仰にいうことを再考して欲しいものだ。雀右衛門の努力や儀保松男のプライドに思いを馳せたとき、個人名を列挙した「感想」「所感」が演劇学や芸術学をもって語られることの責任の重さを感じていただきたいと思う。このような、ひずみが学問の堕落をまねくと思う。私的に自らをさらすのなら、そのような発信手段を慮る。「学」を称すなら、せめて分かりやすい理論や調査したものを示すのがインターネット(仮想現実)における、研究者の役目ではないだろうか。自戒を込めつつ。そして真意が伝わりますようにと。

与那覇晶子氏の言う女形の艶

2010年01月26日

Posted by 踊狂教員 at 01:37 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 沖縄芸能
先日上演されていた「大川敵討」の感想文らしきものを、与那覇晶子氏が、ブログに掲載していたので、覗いてみた。
覚え書きのような文章なので、真意は掴めないが、女形の艶という点が意味不明であった。
いくつかの論文で、色気や艶に言及したものを以前読んだことがあるが、定義不十分な印象がする。
大川敵討の乙樽の艶は、演じ手だけが担うものではない、相互作用、総体的な要素が大きいと思う。さらに、長いセリフを琉歌調だけで艶をだすのは、至難の技だろう。近松のセリフでさえ改変されて演じられる現在。組踊の女形の艶とは、果たして、どのようなものなのだろうか。型の保持や伝統の継承とどう関わるのだろうか。曖昧模糊として、意味がわからなかった。容姿や、衣装、仕草のことが言いたいのではないと、分かるが、いつも具体がないままに、感想が綴られている文章に、納得がいかない。
要するに、女らしさの定型をただ現代感覚、個人観念に引きつけて、語っているに過ぎないのではないだろうか。身体感覚の揺らぎとみるか、伝統の不在とみるか、どちらかは、知らないが、太田省吾の「劇の希望」の世界を、組踊に重ねて、女形を云々するレベルとも思えず、意味不明。

組踊の鑑賞の仕方は人それぞれだけど、あやしい発言には、「素直な疑問符」を付しておきたい。

近況報告など〜平家物語・大野晋評伝

2009年11月03日

Posted by 踊狂教員 at 23:12 Comments( 3 ) TrackBack( 0 ) 古典文学
 ☆
 学校現場に戻って六箇月が経つ。三年担任の業務は、十五年の教員人生のうち、通産四回目を数える。慣れているようで、まだ要領を得ないところもある。如何せん、担任業務は波瀾の中に楽しさもある。楽しいと言えば授業である。十年以上も勤めていれば、それなりに、知らず知らずの間に、ある程度の教材研究の累積がある。初めて『舞姫』を扱ったときの授業などは、今から考えると目も当てられない惨憺たる授業だ。今現在、現任のK高校の三年生は、『舞姫』と『平家物語』を学んでいる。
 授業の只中にあるとき、「噫、余も程よく成長せし哉」と感慨深い境地になったりする。それは、ついこの前こんなことがあったことに由る。『平家物語』に「忠度の都落ち」という教材がある。あるクラスにおいて、忠度が残した歌について説明をしていた。「さざ浪やしがのみやこはあれにしをむかしながらの山桜かな」という歌の中の「ながら」が「長等山」の掛詞であることが、教科書の脚注にあるが、肝腎なことが説明されていない。つまり長等山がどういう場所かについて、何も説明されていないのである。近江萬葉を学ぶ身からすると壬申の乱と関わって、長等山御陵にだれが葬られているのかということは、この歌を理解するためには、極めて重要と思われる。しかし、教科書脚注にも、指導書にも何もなかった。「日本人名大辞典」(講談社)によると平忠度について次のようにある。
《【平忠度】平安時代後期の武将。天養元年生まれ。平忠盛の子、平清盛の弟。源平の争乱で富士川の戦い、墨俣(すのまた)川の戦いなどの大将軍のひとり。寿永三年二月七日一ノ谷の戦いで源氏方の岡部忠澄に討たれた。41歳。歌人としてもすぐれ、藤原俊成に師事、歌は「千載和歌集」などにみえる。家集に「平忠度朝臣集」。さざ浪やしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな(「千載和歌集」)》
俊成は、「千載和歌集」に此の歌を「よみ人知らず」歌として入集した。しかも、「故郷の花」と題して詠まれた歌を忠度の歌々の中から選んでわざわざ入集した。「よみ人知らず」とあるが、訳知りの人が読めば、忠度が詠者だとわかるポイントとしては、「さざ浪のしが」が荒れた都の象徴であることや、長等山が都を追われた大友皇子が自害した場所であることなどが挙げられるだろう。
 この説明を抜いて、「忠度の都落ち」の教材価値は定まらないだろう。個人的には、あまり好きな教材ではないが、たまたま萬葉を中心にして、様々な古典文学に放射していく世界が教員にあっただけだが…。因みに、この歌について長等山の説明をした時、生徒はかなり納得した様子だった。ゆえに、或いは、この教材の価値も存在するのかもしれないと思うようになった。
 ☆
 大野晋博士が、昨年亡くなった。八十八歳だった。生前、司馬遼太郎に「抜き身の刀」と評された大野先生の評伝が東京書籍から出版された。川村二郎著『孤高 国語学者大野晋の生涯』である。国語学会でのエピソードをT先生から、いくつか聞いていたし、佐佐木隆氏の『万葉集を解読する』(NHKブックス)の中で、佐佐木氏に厳しく意見する様子が綴られていたので、お人柄はよく承知していたが、この評伝を読んだことによって、これまでの印象は大きく変わった。一言で言えば、切ないほどに学問に対して、国語に対して思いをもっている方なんだと思った。経済的に厳しいなか、歯を食いしばって、意地でもって学問と対峙してきた姿に、泣けてきた。一高に二十八人中二十八位で合格してから、自殺を考えたことがあったようだが、その時に救ってくれたのが、『万葉集』であり、中でも人麻呂だったということだ。千年以上も前の人麻呂が果たして、自分たちに向けてこの歌を作っただろうかという、素朴な疑問は、我々のなかにもある。おそらく人麻呂が千年後のためにそのようなことをしたわけではないのだろう。人麻呂は、その時の現実を正直に正面からとらえ、誠実に生きただけのことであろう。まして、いまだに、どのような人物だったのか、皆目見当のつかない状態である。ただまっすぐに生きた証しを歌にしただけのことである。その人麻呂に命を救われたと言うのである。一高に入学して大野博士は「非力で少力の自分にも、勉強することはできる。勉強は決して人をあざむかないはずだ」と言い聞かせていたという。五味智英先生が「僕もそう思います」と言ったという。そして「参考にしなさい」といって鴻巣盛広の『万葉集全釈』を貸してくれたという。他人にも厳しいが、自分にも一番厳しい大野博士の在り様に感服した。


神のバトン・旧盆に思う

2009年09月02日

Posted by 踊狂教員 at 21:07 Comments( 2 ) TrackBack( 0 ) 詩と日常
 山之口獏の詩に次のようなものがある。
**********************
「喪のある景色」

うしろを振り向くと 親がある
親のうしろがその親である 
その親のそのまたうしろが
またその親であるというやうに
親の親の親ばつかりが  
むかしの奥へとつづいてゐる

まへを見ると
前へは子である
そのまへはその子である
その子のそのまたまへはその
また子の子であるというやうに
子の子の子の子ばっかりが 
空の彼方へ消えているやうに
未来の涯へとつづいてゐる
こんな風景のなかに
神のバトンが落ちてゐる
血に染まった地球が落ちてゐる
**********************
 昨日は旧暦のお盆の「ウンケー」(お迎え)日でしたね。お仏壇のある家でも、ない家でも、自分自身の先祖に、心から感謝する日と考えたいです。今こうして、自分自身の命が、存在するのは、まず、親の存在があればこそ存在するわけであり、またその上には、祖父母の存在が自分の存在を確かなものにしているということを、折々に考えることが、大切だと思うのです。
 そんなに信心深いほうではないと思っていたのですが、実は、このような家族のつながりに関して、人一倍、思いをよせる人間であることに気づきました。
 1歳になる姪っ子のは、今や、我が家のアイドルです。両親の「じいさん・ばあさん」ぶりを見るにつけ、生命の循環、命のつながりが、「神のバトン」のように思われてならないのです。
 皆さんも必ず、いずれは親になり、そしてオジー、オバーになります。私も。
 そのことを考えたとき、人間がこの地球上に出現して以来の神秘を考えるのです。その営みに感謝したり、思いを寄せたりする意味からも、お盆は、大切な行事なのでしょう。
**********************
 私は、大のお婆ちゃん子でした。お婆ちゃんと一緒に、お芝居や芸能を観にいくことが大好きでした。自分自身で演じたりすることもあるくらいに、沖縄の芸能が好きでしたので、お婆ちゃんは、人一倍そのことを喜んでくれました。孫(従兄弟)は20名以上いるうちのお婆ちゃんは、もう10年以上も前に亡くなりましたが、よくこんなことを話していました。「お婆ちゃんの夢は、すべての孫に手を握られながらあ
の世に行くこと」とニコニコ笑いながら、いつも話していました。当時は、何て不謹慎なことを、自分自身の口から言うんだろうと思っていましたが、山之口獏の「喪のある景色」を読むと、お婆ちゃんが何を見て、何を思い、何を考えていたのかが分かるような気がします。サイパン島で、戦争を体験し、命辛辛沖縄に戻ってきたことや、二人の愛児を栄養失調で亡くしたことは、いつまでも彼女の胸に潜んでいた「命」へ
の眼差しのもととなっていたことであろうし、平凡な何気ない日常の中に、言い知れない幸せを感じとっていたと思うのです。

 舞踊家として、そこそこに名をあげはじめたとき、すでにお婆ちゃんはこの世にいませんでしたが、不思議な現象がいつも楽屋で起ります。それは、お化粧や着付けをしている時、必ず、蝿が私にまとわりつくのです。紅を引いているときや、カツラをかぶるときに、どこからともなく、ぶ〜んと飛んできて、邪魔?をするのです。
 そんなときいつも「あっ!お婆ちゃんが来ている」と感じるのです。独特のイントネーションで、私を呼んでいるような気がするのです。楽屋は基本的に蝿の飛ぶような不衛生なところではないのですが、必ず飛んでいるのは、単なる偶然とは片付けられないと思うのです。私が、踊る姿を、少しでも見たいと思っているお婆ちゃんの「念」のようなものを感じずにはいられません。そういえば、棺おけの中に、私は、自分の踊っている写真をこっそりいれました。
 ほぼ、妄想といわれても仕方のないことだとは、知りつつも、確たる思いで、この現象を信じたいと思っています。なぜなら、私は、「神のバトン」を受け取っている存在だから…。

土佐日記

2009年07月27日

Posted by 踊狂教員 at 23:39 Comments( 4 ) TrackBack( 0 ) 古典文学
まだまだ授業の続くうちの学校~。
夏休みに突入したとよく聞きますが、夏休みってなんでしたっけ??
さて、この前、問題演習で次の話を扱いました。
*********************
七日になりぬ。同じ湊にあり。今日は白馬を思へどかひなし。たゞ浪の白きのみぞ見ゆる。かゝる間に人の家の池と名ある所より鯉はなくて鮒よりはじめて川のも、海のも、ことものども、ながひつにになひつゞけておこせたり。わかなこに入れて雉など花につけたり。若菜ぞ今日をば知らせたる。歌あり。そのうた、

「浅茅生の野辺にしあれば水もなき池につみつるわかななりけり」。
いとをかしかし。この池といふは所の名なり。よき人の男につきて下りて住みけるなり。この長櫃の物は皆人童までにくれたれば、飽き満ちて舟子どもは腹鼓をうちて海をさへおどろかして浪たてつべし。かくてこの間に事おほかり。けふわりごもたせてきたる人、その名などぞや、今思ひ出でむ。この人歌よまむと思ふ心ありてなりけり。とかくいひいひて浪の立つなることゝ憂へいひて詠める歌、

「ゆくさきにたつ白浪の聲よりもおくれて泣かむわれやまさらむ」
とぞ詠める。いと大聲なるべし。持てきたる物よりは歌はいかゞあらむ。この歌を此彼あはれがれども一人りも返しせず。しつべき人も交れゝどこれをのみいたがり物をのみくひて夜更けぬ。
*******************************
 最初の10分くらいは自力で読ませて、そのあと15分で講読するという計画でやってみると、「いと大聲なるべし」という貫之の言に、現代っ子も爆笑していました。ただ、やはり高校生にとって、歌の解釈と洒落や日本的な贈答の気遣い、心配りなどは、難解のようでありました。
 池という地名に住んでいる女性が、水のない池で摘んだという「若菜(実は魚)」だといって長櫃に魚を沢山入れてよこすことの風流は難しいのかなあ。そしてそのことが、贈り物をするときに、贈られる側に恐縮させない気遣いだということは、もっと難しいのかなあ。そうだよね。難しいよね。池という地名のところに住む人が、1月7日の「七草粥」の行事を知らせる体裁で、魚を送ることは、現代から考えると、回りくどいことかもしれないなあ。でも、そのあとの、割籠を持たせた、非常識なひとの泣き声を「大聲なるべし」と一蹴する、貫之の飄然とした雰囲気はなんとも言えませんね。

類聚名義抄

2009年07月27日

Posted by 踊狂教員 at 23:07 Comments( 0 ) TrackBack( 0 ) 古典語
 大学院での演習において、何度となくお世話になった古辞書『類聚名義抄』。今日、携帯のメールに同期のKさんから、類聚名義抄の「牛」の略字記号って何だったっけ??と質問された。正直言って困惑した。あんなにお世話になったのに、1年と経たないうちに、すっかり、高校国語だけの世界にいることに気がついた。なんとKさんは、同じ高校教員でありながら、授業の際、生徒に『類聚名義抄』を引かせているらしい。いわゆる、文字と訓のことについて、触れさせたいと思ったのであろうが、Kさんってステキ!と思った次第である。
 「牛」について、何だろうと思い、何の略字かと思いめぐらせていたが、とうとうこらえ切れなくて、ゼミ同期のRさん(中国の女性)に訊いた。そうしたら彼女曰く「物の名やぁ〜(関西アクセント)」と即答。日本の古辞書の文字を中国の留学生に訊くという、離れ技で解決した。因みに、「亠」は音の略字、「禾」は和音の略字。
 ああ〜、きちんと、学ぶことを続けなければ〜。