2008年02月15日
いつも他人事?
沖縄の女子中学生暴行事件の報道に関して、発言したいと思います。
某新聞社の見出しには「女子中学生暴行:広がる沖縄の怒り 米軍再編下矛先どこへ」とあり、事細かに事件の概要、今後の問題点などを指摘しています。よく取材したと見えて、加害者や被害者の身辺や、事件に至る経緯がよくわかります。
でもその内容とは別に見出しの「沖縄の怒り」とは、どういうことですか?被害者をはじめ、この事件に憤りを感じた沖縄県民は、確かに怒っているのでしょう。しかし、これって、沖縄だけの問題として、「沖縄の怒り」というわけなのでしょうか。
本土に住むわれわれは、たまたま米軍基地がなく、周辺に凶悪性をもつ米兵がいないだけの話であって、日本全土いたるところにおいて、想定できる犯罪であることを忘れていませんか。「地位協定」のことを知っている日本人はどれくらいいるのでしょうか。他人事のような報道に多少心配しています。有事において或いはそれに準じる状況において、沖縄以外の日本本土が、どのような立場になるのか、想像しうる、知識、認識、意識を持たなければならない問題なのに、報道は悲劇の一事件にしてしまっていると思います。皆さんはいかがお考えでしょうか。
それと、沖縄に来る米兵の質は、全体的にどうなのでしょうか。新たな兵士教育を講じて、劇的にかわることが望めるのでしょうか。加害者のような米兵ばかりではないはずですが、「戦争を担う凶悪な集団」というレッテルは、強化されているように感じます。強姦、強盗、殺人という凶悪な犯罪を、兵士が犯すということは、兵士の兵士たる矜持の不在を証明するものであり、やっぱり、暴力だけで生きようとする、近代化のはかれない集団だと思わざるをえませんね。
どうお考えになりますか。
某新聞社の見出しには「女子中学生暴行:広がる沖縄の怒り 米軍再編下矛先どこへ」とあり、事細かに事件の概要、今後の問題点などを指摘しています。よく取材したと見えて、加害者や被害者の身辺や、事件に至る経緯がよくわかります。
でもその内容とは別に見出しの「沖縄の怒り」とは、どういうことですか?被害者をはじめ、この事件に憤りを感じた沖縄県民は、確かに怒っているのでしょう。しかし、これって、沖縄だけの問題として、「沖縄の怒り」というわけなのでしょうか。
本土に住むわれわれは、たまたま米軍基地がなく、周辺に凶悪性をもつ米兵がいないだけの話であって、日本全土いたるところにおいて、想定できる犯罪であることを忘れていませんか。「地位協定」のことを知っている日本人はどれくらいいるのでしょうか。他人事のような報道に多少心配しています。有事において或いはそれに準じる状況において、沖縄以外の日本本土が、どのような立場になるのか、想像しうる、知識、認識、意識を持たなければならない問題なのに、報道は悲劇の一事件にしてしまっていると思います。皆さんはいかがお考えでしょうか。
それと、沖縄に来る米兵の質は、全体的にどうなのでしょうか。新たな兵士教育を講じて、劇的にかわることが望めるのでしょうか。加害者のような米兵ばかりではないはずですが、「戦争を担う凶悪な集団」というレッテルは、強化されているように感じます。強姦、強盗、殺人という凶悪な犯罪を、兵士が犯すということは、兵士の兵士たる矜持の不在を証明するものであり、やっぱり、暴力だけで生きようとする、近代化のはかれない集団だと思わざるをえませんね。
どうお考えになりますか。
2007年11月15日
一億総クレーマー社会
久しぶりに、中央公論を買って読んでいます。
特集は「一億総クレーマー社会―学校や病院を萎縮させる現代日本の病理」ってやつです。その内容は、昔から気になっていたところなので、読むと、つくづくメディアリテラシーの必要性を痛感します。
メディアの受け手は、自分自身が分析判断をしなければならないと思いました。
賞味期限切れ等の問題が社会を賑わしてします。今日、車でラジオを聴いて思ったことがあります。ラジオでは、高級料亭の食品が賞味期限を偽装していたことを報じており、リスナーから、「怒りのメッセージ」を募集していました。
賞味期限の偽装や改竄は許せないことであるし、あってはならないことということは、誰しも正当な社会の意見として問題はないのですが、「怒りのメッセージ」を募集するほど、地域社会で、高級料亭の食品を頻繁に食べていたとは思えず……。「怒り」の募集に応じて、メッセージを送ったリスナーは、どんなリテラシーをもっていたのでしょう。
消費者を詐く企業は、消えてしかるべきという論は、わからなくもないのですが、この問題、社会全体が煽られすぎじゃねぇ?
過去には、7万人の利用者を抱えていた、老人介護の企業が、全国1600の事業所のうち、8事業所が不正をしたために、7万人の介護事業がすべて止まった。不正をあばき、正すことは大切ですが、7万人の利用者は、今夜、明日、明後日をどう過ごしたのでしょうか。
思えば、今の社会クレーマーだらけかもしれません。
正当なクレームなら、いいのですが……。
次のクレームは実際にあったものです。
①「おたくの学校のグランドからの土ぼこりが家の壁を汚す、何とかしろ!」
*****学校のそばに家を建てたのはだ~れ~?
*****土は学校のものだから、管理しないといけない。でも風は管理できるの???
②「運動会の声援や音がうるさくて寝られない!静かにしろ!」
*****うるさいのは申し訳ないのですが、声援のない運動会って存在するのでしょうか?
*****毎日空を飛んでいる軍用機は、許しているのに、なぜ運動会だけ??
③「おたくの学校の生徒が、うちの門の前で、お菓子の包み紙を捨てていった。あなたが拾いに来るか、その生徒自身の謝罪を求めます」
*****包み紙を捨てた生徒は、確かに悪い。しかし謝罪を求めたければ、なぜ、その時、その場で求めなかったのか?或いは、拾わせなかったのか。いったん捨てた事実を、許したと判断されかねないのでは……。
*****包み紙を捨てた生徒は、確かに悪い。しかし、ここで思うのですが、この事案、非生産的すぎません?包み紙を拾いに行って、根本的な解決になります?生徒を謝罪をさせて、教育に生かすことはいいのですが、その他のゴミにも、これほどの関心を示してますかぁ???
結局!
学校だから、学校に関係することだからクレームにしていません??
同様に、食品の内容物について、科学的に分析能力もない上、多少腐ったものを食べても腹を壊さないのにも関わらず、食品を扱う企業を「善」と「悪」、「オール」と「ナッシング」の二項対立だけで考えていませんか?それって、完全にマスコミに利用され、洗脳されていると思います。そして、非生産的。。。。
怒りのメッセージをラジオに送る前に、例えば被害者(腹壊した等、健康被害)であれば、すぐに、その企業に訴えるべきです。保健所に行くべきです。これ、この件についての、正当な怒りの表現法。
私たち、
視聴率と株価の変動に利用されているのかもしれませんね。
メディアリテラシー教育が、ほとんど体系化して存在しない日本の、これからの課題ですね。。。
特集は「一億総クレーマー社会―学校や病院を萎縮させる現代日本の病理」ってやつです。その内容は、昔から気になっていたところなので、読むと、つくづくメディアリテラシーの必要性を痛感します。
メディアの受け手は、自分自身が分析判断をしなければならないと思いました。
賞味期限切れ等の問題が社会を賑わしてします。今日、車でラジオを聴いて思ったことがあります。ラジオでは、高級料亭の食品が賞味期限を偽装していたことを報じており、リスナーから、「怒りのメッセージ」を募集していました。
賞味期限の偽装や改竄は許せないことであるし、あってはならないことということは、誰しも正当な社会の意見として問題はないのですが、「怒りのメッセージ」を募集するほど、地域社会で、高級料亭の食品を頻繁に食べていたとは思えず……。「怒り」の募集に応じて、メッセージを送ったリスナーは、どんなリテラシーをもっていたのでしょう。
消費者を詐く企業は、消えてしかるべきという論は、わからなくもないのですが、この問題、社会全体が煽られすぎじゃねぇ?
過去には、7万人の利用者を抱えていた、老人介護の企業が、全国1600の事業所のうち、8事業所が不正をしたために、7万人の介護事業がすべて止まった。不正をあばき、正すことは大切ですが、7万人の利用者は、今夜、明日、明後日をどう過ごしたのでしょうか。
思えば、今の社会クレーマーだらけかもしれません。
正当なクレームなら、いいのですが……。
次のクレームは実際にあったものです。
①「おたくの学校のグランドからの土ぼこりが家の壁を汚す、何とかしろ!」
*****学校のそばに家を建てたのはだ~れ~?
*****土は学校のものだから、管理しないといけない。でも風は管理できるの???
②「運動会の声援や音がうるさくて寝られない!静かにしろ!」
*****うるさいのは申し訳ないのですが、声援のない運動会って存在するのでしょうか?
*****毎日空を飛んでいる軍用機は、許しているのに、なぜ運動会だけ??
③「おたくの学校の生徒が、うちの門の前で、お菓子の包み紙を捨てていった。あなたが拾いに来るか、その生徒自身の謝罪を求めます」
*****包み紙を捨てた生徒は、確かに悪い。しかし謝罪を求めたければ、なぜ、その時、その場で求めなかったのか?或いは、拾わせなかったのか。いったん捨てた事実を、許したと判断されかねないのでは……。
*****包み紙を捨てた生徒は、確かに悪い。しかし、ここで思うのですが、この事案、非生産的すぎません?包み紙を拾いに行って、根本的な解決になります?生徒を謝罪をさせて、教育に生かすことはいいのですが、その他のゴミにも、これほどの関心を示してますかぁ???
結局!
学校だから、学校に関係することだからクレームにしていません??
同様に、食品の内容物について、科学的に分析能力もない上、多少腐ったものを食べても腹を壊さないのにも関わらず、食品を扱う企業を「善」と「悪」、「オール」と「ナッシング」の二項対立だけで考えていませんか?それって、完全にマスコミに利用され、洗脳されていると思います。そして、非生産的。。。。
怒りのメッセージをラジオに送る前に、例えば被害者(腹壊した等、健康被害)であれば、すぐに、その企業に訴えるべきです。保健所に行くべきです。これ、この件についての、正当な怒りの表現法。
私たち、
視聴率と株価の変動に利用されているのかもしれませんね。
メディアリテラシー教育が、ほとんど体系化して存在しない日本の、これからの課題ですね。。。
2007年11月06日
石の声 Voice of Stones
教科書会社が続々と、沖縄戦集団自決の教科書記事の訂正をしている。沖縄の声は一見届いたように映るし、報道も一件落着といった様子である。
とんでもないことだ。沖縄が求めたのは、記事の訂正以前に、文部科学省側の意見撤回である。教科書会社の自主的な記事訂正は、文部科学省が教科書内容に求めた意見、すなわち「集団自決が軍の強制によって行われた」という記事の修正意見の撤回とは意味が違う。今後も、このように、歴史を修正する文部科学省と、沖縄は対決していくのだろうか。
そんな中、
私の友人、金城満氏が、「石の声 Voice of Stones」を出版した。

1996年に、佐喜眞美術館の前庭で行われた表現行為の記録である。20万余りの沖縄戦犠牲者の数をナンバリングしていくという表現は、全国で話題になった。兵庫に暮らす私には、この地の方々に是非紹介したい一冊である。
地球上、どこもかしこも血塗られた土地である。沖縄もしかり。血であがなったものは何かを考え、過去に耳を傾けなければ、今現実に生活しているそれぞれの場所も、必ずまた血塗られると思う。目を背ければそれまでである。耳をふさげばそれまでである。
とんでもないことだ。沖縄が求めたのは、記事の訂正以前に、文部科学省側の意見撤回である。教科書会社の自主的な記事訂正は、文部科学省が教科書内容に求めた意見、すなわち「集団自決が軍の強制によって行われた」という記事の修正意見の撤回とは意味が違う。今後も、このように、歴史を修正する文部科学省と、沖縄は対決していくのだろうか。
そんな中、
私の友人、金城満氏が、「石の声 Voice of Stones」を出版した。
1996年に、佐喜眞美術館の前庭で行われた表現行為の記録である。20万余りの沖縄戦犠牲者の数をナンバリングしていくという表現は、全国で話題になった。兵庫に暮らす私には、この地の方々に是非紹介したい一冊である。
地球上、どこもかしこも血塗られた土地である。沖縄もしかり。血であがなったものは何かを考え、過去に耳を傾けなければ、今現実に生活しているそれぞれの場所も、必ずまた血塗られると思う。目を背ければそれまでである。耳をふさげばそれまでである。
2007年09月14日
川村二郎「イロニアの大和」を読む~保田與重郎と私の沖縄
和歌山の帰りに明日香を訪れ、その後に古書店で川村二郎「イロニアの大和」という本を見つけました。保田與重郎のことを取り上げた本です。文学報国会で大政翼賛運動に参加し、戦後は30年代まで断筆していた保田の姿に興味があり、関係する本を探していました。読み進めていくうちに、この特異な文学者を育てた大和という風土を、これまでと違う視点で考えてみたいと思うようになりました。
奈良好きの小生は、年に最低1回、奈良を訪れていました。格安チケットがいまよりも全盛のころ(10年前)は、5回…も行っていました。沖縄-大阪が往復2万円という値段で、いつでも求められる幸運な頃でした。実は、なかなか多忙な時期でもありました。踊りと教員をほぼ「ニソクのワラジ」状態で続け、睡眠時間は毎日3時間程度というころでした。若かった。。。
そんな多忙の小生は万葉集を入り口にしてどんどん奈良にひきつけられました。朝は7:40からの0時限を週4回こなし、60分6コマの授業のあと8時に退庁、9時から夜中の2時ごろまで稽古、帰宅後シャワーに入る気力もなくベッドに倒れる毎日。土日は生徒の模試監督、その合間に万葉の勉強会。そして、踊りの公演(もちろん、公演前には、演奏方との手合わせ等)が次から次へと。。。
そんな折、だれにも言わず、ひょいと訪れる奈良は、しばし私を解いてくれる土地でした。万葉集片手に、一人でふらふら、ぶらぶら歩くと、必ず面白い出会いがあり、また何回も訪れている場所なのに、いつも新しい感動を与えてくれる等、多忙な小生が、人との邂逅を何より求めて生きている存在であることや、自分の感性をどこに向けていこうとしているのかに気づかせてくれる土地でした。まだ奈良の魅力をはっきり一言で言う事はできませんが、いつも、「大好きです!!!」(←これが発言ではありません)
さて保田與十郎です。
これまで私は、文学や言語の延長線上に、「大和」(奈良)を見ていたのですが、保田を通して「大和」(奈良)の虚と実が逆説的に鮮明になりました。厳密には川村二郎の「イロニアの大和」を通してですが、先日、近代文学専攻の教授から、大学図書館に全集があることをうかがい、2,3の論考を読んでみると、予感していた視点がだんだんオキナワと重なりながら、鮮明になっていきました。
予感してしていた視点とは、「虚」としての「大和」奈良ということです。小生は多忙の日々の中、文学や言語の延長線上に「大和」奈良を据えて、「大和」奈良像の範囲を区切り、その他の「大和」奈良の状況は切り捨てる視点といったらよいでしょう。保田與重郎は、大和を中心とした文化と国家との関係を、文学の中に確立した人間でした。川村氏が指摘するように、保田は「虚」としての「大和」を全国に発信する急先鋒として活躍し、そしてついに、文学報国会において大政翼賛運動に参加します。あの戦争の反省等の問題とは別に、国民は戦時中の保田文学にある種の「大和」魂を見出し、共感していたことを考えると、現在のオキナワの状況とピタリと重なったのです。
「癒しの島幻想」は、今や疲れた日本人を「虚」の世界に押しやり、翼賛運動的なリゾート情報の嵐のなか、沖縄の「実」は「虚」として捨て置かれる、と感じたのです。
これは「大和」奈良も同じ。文学・歴史に浸りたい一身の小生は、つい5年くらい前まで、奈良の同和問題が深刻だということを知りませんでしたし、また、われわれが幻想のなかに見出した大和の山々では、少女が拉致、乱暴、殺害されるという現代の暗い一面を映し出す痛ましい事件があったり、ついこの前は、奈良を訪れると弁当等を買うときによく利用するスーパーで妊婦が不幸なことになる等、文学・歴史以外の奈良を排除して、奈良を見ていたのです。
関西地方に住み始めて6ヶ月、「大和」奈良の「虚」と「実」の中で、しっかり見たいという意志が生まれ始めています。
ここで「私の発言!」
見る目を持たなければ、大変なことになりますよ!オキナワが「癒しの島」ですって???報道されていないだけであって、大変なところですよぉ。沖縄への移住を進める月刊誌までありますが、保田與重郎的であり、沖縄の「虚」満載。大変なことになりますよ!そしてオキナワよ、「実」を見ていながら、「虚」を盾に生きるって情けないことではありませんか。県政は保守(虚と実を使い分ける)、国政は革新(虚を肥大させながら実を訴える、或いはその逆)を選ぶという状況は、もはや、伊波普猷が言う「孤島苦」では片付けられないのではないでしょうか。そして日本国民よ、ヒーローなき時代に、ヒーローを延々と求め続けるのもいいけど、そろそろその生き方をやめませんか?だって、いつもヒーローの失態は1mmも許さないで足を引っ張ることに専念し、自分の悪いことは棚にあげ、いつもヒーローに頼りっきりっているというのは、情けないことだと思います。「虚」の部分ではマーガレットサッチャーをチェ・ゲバラで煮出したような、「実」の部分では白洲次郎感覚のゴルバチョフのようなヒーローがあらわれるとでも思っているのでしょうか、日本国民よ、オキナワよ。大変なことになりますよ!
~参考~
(帯情報)
保田與重郎の大和
保田與重郎をめぐる大和文学紀行。
国のまほろば大和の地に刻まれた、無垢なる魂の悲惨と栄光。
悠久と無常の風土に保田文学の根源をたどる傑作評論。
(帯情報裏)
保田を読み始めた頃は旅を嫌っていた若者が、老境に入って、旅の経験もかなり積み重ねて来たその蓄積の上で、保田の大和を眺めた時どのように見えるか、そのことをたしかめようとしたのがこの本である。いうまでもなく現実にはその土地は行政区画としての奈良県であって、そこにひそむ遠い過去の追想は、所詮幻にすぎぬかもしれない。しかし幻にこそ土地の神髄があると考えれば、現実の相はかえって虚にすぎなくなるともいえる。実にして虚、このイロニーの上に保田の大和は浮かんでいると見た所に表題を置くいわれがあった。----後書より
奈良好きの小生は、年に最低1回、奈良を訪れていました。格安チケットがいまよりも全盛のころ(10年前)は、5回…も行っていました。沖縄-大阪が往復2万円という値段で、いつでも求められる幸運な頃でした。実は、なかなか多忙な時期でもありました。踊りと教員をほぼ「ニソクのワラジ」状態で続け、睡眠時間は毎日3時間程度というころでした。若かった。。。
そんな多忙の小生は万葉集を入り口にしてどんどん奈良にひきつけられました。朝は7:40からの0時限を週4回こなし、60分6コマの授業のあと8時に退庁、9時から夜中の2時ごろまで稽古、帰宅後シャワーに入る気力もなくベッドに倒れる毎日。土日は生徒の模試監督、その合間に万葉の勉強会。そして、踊りの公演(もちろん、公演前には、演奏方との手合わせ等)が次から次へと。。。
そんな折、だれにも言わず、ひょいと訪れる奈良は、しばし私を解いてくれる土地でした。万葉集片手に、一人でふらふら、ぶらぶら歩くと、必ず面白い出会いがあり、また何回も訪れている場所なのに、いつも新しい感動を与えてくれる等、多忙な小生が、人との邂逅を何より求めて生きている存在であることや、自分の感性をどこに向けていこうとしているのかに気づかせてくれる土地でした。まだ奈良の魅力をはっきり一言で言う事はできませんが、いつも、「大好きです!!!」(←これが発言ではありません)
さて保田與十郎です。
これまで私は、文学や言語の延長線上に、「大和」(奈良)を見ていたのですが、保田を通して「大和」(奈良)の虚と実が逆説的に鮮明になりました。厳密には川村二郎の「イロニアの大和」を通してですが、先日、近代文学専攻の教授から、大学図書館に全集があることをうかがい、2,3の論考を読んでみると、予感していた視点がだんだんオキナワと重なりながら、鮮明になっていきました。
予感してしていた視点とは、「虚」としての「大和」奈良ということです。小生は多忙の日々の中、文学や言語の延長線上に「大和」奈良を据えて、「大和」奈良像の範囲を区切り、その他の「大和」奈良の状況は切り捨てる視点といったらよいでしょう。保田與重郎は、大和を中心とした文化と国家との関係を、文学の中に確立した人間でした。川村氏が指摘するように、保田は「虚」としての「大和」を全国に発信する急先鋒として活躍し、そしてついに、文学報国会において大政翼賛運動に参加します。あの戦争の反省等の問題とは別に、国民は戦時中の保田文学にある種の「大和」魂を見出し、共感していたことを考えると、現在のオキナワの状況とピタリと重なったのです。
「癒しの島幻想」は、今や疲れた日本人を「虚」の世界に押しやり、翼賛運動的なリゾート情報の嵐のなか、沖縄の「実」は「虚」として捨て置かれる、と感じたのです。
これは「大和」奈良も同じ。文学・歴史に浸りたい一身の小生は、つい5年くらい前まで、奈良の同和問題が深刻だということを知りませんでしたし、また、われわれが幻想のなかに見出した大和の山々では、少女が拉致、乱暴、殺害されるという現代の暗い一面を映し出す痛ましい事件があったり、ついこの前は、奈良を訪れると弁当等を買うときによく利用するスーパーで妊婦が不幸なことになる等、文学・歴史以外の奈良を排除して、奈良を見ていたのです。
関西地方に住み始めて6ヶ月、「大和」奈良の「虚」と「実」の中で、しっかり見たいという意志が生まれ始めています。
ここで「私の発言!」
見る目を持たなければ、大変なことになりますよ!オキナワが「癒しの島」ですって???報道されていないだけであって、大変なところですよぉ。沖縄への移住を進める月刊誌までありますが、保田與重郎的であり、沖縄の「虚」満載。大変なことになりますよ!そしてオキナワよ、「実」を見ていながら、「虚」を盾に生きるって情けないことではありませんか。県政は保守(虚と実を使い分ける)、国政は革新(虚を肥大させながら実を訴える、或いはその逆)を選ぶという状況は、もはや、伊波普猷が言う「孤島苦」では片付けられないのではないでしょうか。そして日本国民よ、ヒーローなき時代に、ヒーローを延々と求め続けるのもいいけど、そろそろその生き方をやめませんか?だって、いつもヒーローの失態は1mmも許さないで足を引っ張ることに専念し、自分の悪いことは棚にあげ、いつもヒーローに頼りっきりっているというのは、情けないことだと思います。「虚」の部分ではマーガレットサッチャーをチェ・ゲバラで煮出したような、「実」の部分では白洲次郎感覚のゴルバチョフのようなヒーローがあらわれるとでも思っているのでしょうか、日本国民よ、オキナワよ。大変なことになりますよ!
~参考~
(帯情報)
保田與重郎の大和
保田與重郎をめぐる大和文学紀行。
国のまほろば大和の地に刻まれた、無垢なる魂の悲惨と栄光。
悠久と無常の風土に保田文学の根源をたどる傑作評論。
(帯情報裏)
保田を読み始めた頃は旅を嫌っていた若者が、老境に入って、旅の経験もかなり積み重ねて来たその蓄積の上で、保田の大和を眺めた時どのように見えるか、そのことをたしかめようとしたのがこの本である。いうまでもなく現実にはその土地は行政区画としての奈良県であって、そこにひそむ遠い過去の追想は、所詮幻にすぎぬかもしれない。しかし幻にこそ土地の神髄があると考えれば、現実の相はかえって虚にすぎなくなるともいえる。実にして虚、このイロニーの上に保田の大和は浮かんでいると見た所に表題を置くいわれがあった。----後書より


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