近況報告など〜平家物語・大野晋評伝

2009年11月03日/ 古典文学

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 学校現場に戻って六箇月が経つ。三年担任の業務は、十五年の教員人生のうち、通産四回目を数える。慣れているようで、まだ要領を得ないところもある。如何せん、担任業務は波瀾の中に楽しさもある。楽しいと言えば授業である。十年以上も勤めていれば、それなりに、知らず知らずの間に、ある程度の教材研究の累積がある。初めて『舞姫』を扱ったときの授業などは、今から考えると目も当てられない惨憺たる授業だ。今現在、現任のK高校の三年生は、『舞姫』と『平家物語』を学んでいる。
 授業の只中にあるとき、「噫、余も程よく成長せし哉」と感慨深い境地になったりする。それは、ついこの前こんなことがあったことに由る。『平家物語』に「忠度の都落ち」という教材がある。あるクラスにおいて、忠度が残した歌について説明をしていた。「さざ浪やしがのみやこはあれにしをむかしながらの山桜かな」という歌の中の「ながら」が「長等山」の掛詞であることが、教科書の脚注にあるが、肝腎なことが説明されていない。つまり長等山がどういう場所かについて、何も説明されていないのである。近江萬葉を学ぶ身からすると壬申の乱と関わって、長等山御陵にだれが葬られているのかということは、この歌を理解するためには、極めて重要と思われる。しかし、教科書脚注にも、指導書にも何もなかった。「日本人名大辞典」(講談社)によると平忠度について次のようにある。
《【平忠度】平安時代後期の武将。天養元年生まれ。平忠盛の子、平清盛の弟。源平の争乱で富士川の戦い、墨俣(すのまた)川の戦いなどの大将軍のひとり。寿永三年二月七日一ノ谷の戦いで源氏方の岡部忠澄に討たれた。41歳。歌人としてもすぐれ、藤原俊成に師事、歌は「千載和歌集」などにみえる。家集に「平忠度朝臣集」。さざ浪やしがのみやこはあれにしをむかしながらの山ざくらかな(「千載和歌集」)》
俊成は、「千載和歌集」に此の歌を「よみ人知らず」歌として入集した。しかも、「故郷の花」と題して詠まれた歌を忠度の歌々の中から選んでわざわざ入集した。「よみ人知らず」とあるが、訳知りの人が読めば、忠度が詠者だとわかるポイントとしては、「さざ浪のしが」が荒れた都の象徴であることや、長等山が都を追われた大友皇子が自害した場所であることなどが挙げられるだろう。
 この説明を抜いて、「忠度の都落ち」の教材価値は定まらないだろう。個人的には、あまり好きな教材ではないが、たまたま萬葉を中心にして、様々な古典文学に放射していく世界が教員にあっただけだが…。因みに、この歌について長等山の説明をした時、生徒はかなり納得した様子だった。ゆえに、或いは、この教材の価値も存在するのかもしれないと思うようになった。
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 大野晋博士が、昨年亡くなった。八十八歳だった。生前、司馬遼太郎に「抜き身の刀」と評された大野先生の評伝が東京書籍から出版された。川村二郎著『孤高 国語学者大野晋の生涯』である。国語学会でのエピソードをT先生から、いくつか聞いていたし、佐佐木隆氏の『万葉集を解読する』(NHKブックス)の中で、佐佐木氏に厳しく意見する様子が綴られていたので、お人柄はよく承知していたが、この評伝を読んだことによって、これまでの印象は大きく変わった。一言で言えば、切ないほどに学問に対して、国語に対して思いをもっている方なんだと思った。経済的に厳しいなか、歯を食いしばって、意地でもって学問と対峙してきた姿に、泣けてきた。一高に二十八人中二十八位で合格してから、自殺を考えたことがあったようだが、その時に救ってくれたのが、『万葉集』であり、中でも人麻呂だったということだ。千年以上も前の人麻呂が果たして、自分たちに向けてこの歌を作っただろうかという、素朴な疑問は、我々のなかにもある。おそらく人麻呂が千年後のためにそのようなことをしたわけではないのだろう。人麻呂は、その時の現実を正直に正面からとらえ、誠実に生きただけのことであろう。まして、いまだに、どのような人物だったのか、皆目見当のつかない状態である。ただまっすぐに生きた証しを歌にしただけのことである。その人麻呂に命を救われたと言うのである。一高に入学して大野博士は「非力で少力の自分にも、勉強することはできる。勉強は決して人をあざむかないはずだ」と言い聞かせていたという。五味智英先生が「僕もそう思います」と言ったという。そして「参考にしなさい」といって鴻巣盛広の『万葉集全釈』を貸してくれたという。他人にも厳しいが、自分にも一番厳しい大野博士の在り様に感服した。


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Posted by 踊狂教員 at 23:12│Comments(3)
この記事へのコメント
こんにちは、僕は沖縄県の高校に通っている一年生です。

たまたま先生のブログを見つけ、非常に興味を持っております。K高校が、向陽高校であるならぜひとも直接会ってお話がしたいです。
Posted by 沖縄県の高校生 at 2010年01月08日 18:05
書き込みありがとうございます。
お示しの学校では、残念ながら、ありません。
以前勤めていましたが…。日々の学びを大切にして、自分自身の命の質量を高めてください。ね。
Posted by 踊狂教員 at 2010年01月08日 18:10
早速のご返信ありがとうございます。

僕は日本文化や沖縄文化についての関心が高く、自らのアイデンティティーを追求せんとして、伊波普猷や外間守善先生、その他の先人の著作を理解できる範囲で読みかじってきました。

生粋の沖縄人である僕もその周りも、沖縄に関して無知であることが多く、踊狂教員先生の手引きを受けて学ぶことができればあるいは、…と考えていました。

お言葉の通り、毎日を大切に生きたいと思います。ありがとうございました。
Posted by 沖縄県の高校生 at 2010年01月08日 19:42
 
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